2017年09月23日
渡邊歩惟 退団のお知らせ
2017年09月05日
コトリ会議、竹やぶとじのご挨拶
コトリ会議の山本です。
8月26日の仙台公演をもって、五都市お礼まいりツアー公演「あ、カッコンの竹」終演しました。
本当にたくさんのお客様に見て頂きました。
本当にたくさんの方に助けて頂きました。
ありがとうございます。
お礼をしてまわるツアーのはずが、逆に各地でもっとお礼をしたい方が増えました。
こうやって劇団は活動を続けていくのだと、当たり前のことにもう一度気づかせてくれた旅公演でした。
実は座組みの中で、「あ、カッコンの竹」台本に一番自信を持てなかったのが僕ではないでしょうか。
タイトルから気に入りませんでした。
そんな中、台詞を声に出して演じてくれる役者さんに力を分けてもらいながら、どうにかこうにか稽古を重ねてきたように思います。
3月。狭い稽古場で、大石さんと、まえさんが、汗だくになりながら冒頭の先輩後輩の場面を演じていました。
まだ台本の終わりどころか、中盤も出来上がっていない、野お母さんなんか台詞一つしか書き上がっていない土台の上で、2人の必死のやりとりから、僕も必死に自分の台本の可能性を探りました。
大石さんもまえさんも、本当にガツガツ演技で訴えてきてくれて、結果、このツアー公演を通して、僕のお気に入りの場面が出来上がりました。
だのに、4月の名古屋公演初日は、こんなことを言うのはいけないことなんだけれど、自分の思っていたものとはかけ離れた芝居が出来上がっていました。
ナンジャーレの屋上階に1人佇み、夜闇の中、クジラの置物をじっと見つめ続けて終演後の全員集合をすっぽかしたのが良い思い出になったのは、名古屋公演のお客様が、SNSでたくさん感想を送ってくれたからでした。
初日アフタートークゲストの長谷川さんも励ましてくださり、助けられました。
その後、スタッフも出演者も集まって、初日の舞台終わり、疲労困ぱいの中、稽古が出来たことも良かった。
それは、実際に舞台を使って、実際のきっかけで音響も照明も操作して、出演者は客席からそれを見つめ、台本を読むという変わったものでした。
皆は台本と舞台を見つめ直して、僕は客席にいる出演者を見つめ直して、密な時間を過ごしました。
そんな中、舞台をひょこひょこと、妖精のように動き回る、舞台美術補佐の竹腰さんは、着々と竹やぶを補強してくださってました。
竹腰さん、その後も各地で竹やぶを美しく仕上げてくれて、なんというか、竹やぶに潜む、彼女は何かだったのではないでしょうか。
5月の大阪公演では、三村さんと藤谷さんが本領を発揮し始めました。
立ち上がった舞台でひそひそ話する2人は、竹やぶのセットの一つ一つに、三根とよしの思い出をこめていました。
どんな思い出か聞いてみても、2人は教えてくれませんでした。
役者さんの中で竹やぶがわさわさ育っているのを感じて、僕は嬉しいけど寂しくなって、悔しいので1人で竹やぶの裏設定を付け足しました。
また、劇場が変わると竹やぶも変わり、その都度、照明の石田さんと音響の佐藤さんはウンウン悩んでいました。
石田さんは、竹やぶの暗がりと、役者さんの顔当ての狭間で、あっちこっち探りまわって、本番が終わるたんびに明かりを確かめていました。
佐藤さんは、竹木琴と、小鳥の釣り物の両方を操作しながら、鹿威しのカッコンを鳴らし、パソコン操作し音も出すという離れ業を黒マントを羽織ってひょうひょうとこなしてくれてましたが、本番中、本人を盗み見ると、結構焦っていました。
時々カッコンの音がくぐもって聞こえることがあって、僕は密かにニヤリとしました。
6月初旬は本当に忙しい時期でした。
それもこれも、大阪公演から東京公演まで2週間足らずの間に、山本がまた台本を書き換えると言ってきたからです。
ラスト手前の、加代と太郎の会話は、東京公演まで試行錯誤の繰り返しでした。
野村さんと本田さんは、都市ごとに、場面が変わるたんびに、台詞の発し方を考え、今度はドタバタして今度は静かにして今度は走り続けて、そして2人の場面を全部作り直して、てんやわんやでした。
よく反旗を翻しませんでした。
2人のおかげで、お芝居が引き締まったものになり、台本の書き換えに終止符をうつことが出来ました。
また、東京公演のみ、照明操作を担当した木内さんには、働く大人の格好良さをこれでもかと見せつけられ、僕は何も敵わず、ひたすらカッコ良さげなペン回しを練習しました。
7月の新潟公演は、さすが四都市めとなると、役者さんの動きも舞台の仕込みもスムーズだね、と言いたかったのですが、いやいや、やっぱり竹やぶは人が気軽に出入りしていい場所ではありませんでした。
舞台のサイズも作りも変わり、四苦八苦する役者さん。
宇宙人の背負っているランドセルや野お母さんの頭の飾りのよく引っかかること。
思わず「誰だこんな台本にない衣装頼んだのは!」と怒鳴りちらしました。
衣装を頼んだのは僕でした。
観光どころではありませんでした。
そんな中、アフターイベントで、前にコトリ会議が新潟で上演した「新幹線も弾く毛布と愛おしい明け方」を、男優陣がリーディングするという企画がありました。
これが予想以上に面白く、勇気を貰えたかといえば、逆に「あ、カッコンの竹」はどうなのだろうと、僕はまた自分の中で押し問答をすることになるのでした。
この新潟公演がきっかけとなって、僕はまだまだ「あ、カッコンの竹」が発展するんだろうと思えたし、皆にもまだまだくすぶっているものがあるんだろうと感じました。
それは、各地で感想の色合いが異なることからも感じました。
東京ではどちらかというとコメディと捉えられていたものが、新潟ではホラー。
地域によって異なることは当たり前のことだけれど、一つの作品がこんなに様変わりすることあるんだろうか。
改めて、「あ、カッコンの竹」を見つめ直すきっかけとなりました。
8月の、暗がりでの稽古場リーディング公演はそんなきっかけで生まれました。
ここにきて、役を取っ替えてのリーディング公演。
稽古は二日間。そして仙台公演まで一週間。限られた時間をそんなことに使ってよいのか。
僕が役者だったら真っ先に反対する提案を、役者さん皆賛成してくれました。
なんて愛おしいバカたちだろう。
僕は皆に、真面目に考えろと説教したくなりました。
そんなリーディング公演は、結果、とても良く出来たとは言えない出来でした。
実のところ、あんまり僕には収穫のなかった公演でしたが、一つだけ、今まで「あ、カッコンの竹」を上演した都市からお客様が駆けつけてくださったのが、本当に嬉しいことでした。
各地でずくずくと竹やぶが育ってきている。
いつか忘れ去られる「あ、カッコンの竹」ですが、なんだかもう少し、幸せを感じようと思いました。
そして僕には収穫のなかった暗がりリーディング公演でしたが、役者さんはそうではなかった。
その後、稽古でやった、本役に戻っての本読みは、とても刺激的なものになりました。
劇的に何かが変わったわけでないのに、絶対に劇的な何かが使われた感触。
これはまだまだ、あと三都市は回れるなと思いました。
仙台公演は、皆、とてもいきいきした顔で始めることが出来ました。
仕込みの現場にお子さんと犬さんがいてくれたことも良かった。
短距離男道ミサイル澤野さんの息子さんと、小濱さんのパートナーすももちゃん。
何度かすももちゃんを下敷きにしかけたけれど、良かった。
あと、本番初日の朝。まえさんが深刻な顔をして、「僕、本当に口をテープで塞いで寝てるんですけど、どうしても、はっきり寝言言っちゃうんですよね」って悩んでる姿が、どうでもよかった。
役者さんの顔が、四都市を経て、「どうだ、面白いもん持ってきたぜ」っていう表情してる。
誰からぶん殴ってやろうと思いました。
仙台のお客様も、作品をどう面白く見ようと協力してくださっている空気で、僕には嬉しい本番でした。
改めて思い返してみると、本当に面白い公演でした。と言い切るのが中々出来ないのが僕のどうしようもないところなのですが、それでも、名古屋、大阪、東京、新潟、仙台と上演してまわれたことは、本当に良かったと思います。
その中で、たくさんの感想を、アンケートやSNSから戴きました。
ありがとうございます。
「あ、カッコンの竹」の竹やぶセットは、仙台で安全に解体されて、もうどこにもありません。
「あ、カッコンの竹」の竹やぶは、皆さんもうお気づきのように、ただの人の生活の影です。
閉じることの出来ないそれを、私たちは心にどう綴じるのか、とても答えは出せませんが、それでも、ただの人の生活の一部です。
とりあえず僕は、そろそろ扇風機を片付けます。
ご挨拶、終わります。
あ、次回のコトリ会議、すでに来年6月、東京のこまばアゴラ劇場での公演が決まってますけれど、今回よりもっと面白いです。
そんな作品作りが続けられることに嬉しくなって、また会う日まで
コトリ会議
山本